美術館の楽しみ方がわからなかった話
美術館や博物館に行くのが苦手でした。
せっかく音楽をやってるんだから、他の芸術にも目を向けないとなーという気持ちで行けるようになりたい、と思ってはいました。
何が苦手に感じさせているのか、言語化することで納得できた話です。
行った時に感じてたこと
話題になる作品展は色々あります。ゴッホ展、フェルメール展、国宝東寺の特別展など、駅の広告でも毎日のように目にします。
歴史的な作品だったり、なかなか見る機会はないのは知ってるんですが、何にせよ知識がありませんでした。美術展なら、水彩画なのか油絵なのか、どこの国の人なのか、代表的な一枚くらいは見たことがあるかないか程度。
「作者のことを知らなさすぎて、見に行ってもどう感じたら良いかわからない」という気持ちが強かったです。どうせ行くならその前に絵画の基本でも予習しなきゃ、なんて思っているうちにどんどんハードルが上がって結局行かないパターンが多かったです。話題になっているから行く!と素直に思えなかった。
感じたままで良いのだと受け止めた
自身のつけ方の記事でも書いたのですが、自分の感じたことをちゃんと拾ってあげる、ということが自己肯定感を持つのに大事だと気付いた時、美術館を楽しめないのも同じかもしれない、とふと思いました。
歴史的な名画を眼の前にして、その偉大さ、どこにそれだけの価値があるかとかを"正しく"感じないといけないという気持ちが強かったのだと思います。
歴史の教科書で見たのよりも年取って見えるなあ、とか、表面の素材は結構ザラついているなあ、とか、思ったより小さい作品だったんだ、とか。気づいたこと、感じたることは何でも良いんだ、と思った瞬間、気持ちが楽になりました。
おそらく、良い年なんだから美術史のことを少しは知っていないといけない、という観念があったのだろうなと思います。"良い年"→美術史を知っている大人であるべき、という憧れが、現実にそうではない自分とのギャップに勝手に落胆させていました。
落ち着いて考えると、自分の人生で美術史はあまり大きな要素では無かったので知らなくても当然だなあと思えました。言語化して認識することで、しがみついていた理想像を手放せるようになりました。
演奏会に行っても実はそうしてた
思い返すと、演奏会でも同じことが起こり得ます。このプレイヤーはどこそこの出身で演奏のルーツは誰々にあって、とか知っていたら格好良いかもしれない。ただ、そこは私には大事ではなくて、ただ今この瞬間の演奏が自分にとって気持ち良いか、で聴いていました。
演奏中もずっと音に集中しているわけではなく、ふと、自分のバンドではあの曲を演奏しよう、とか、学生の頃のバンド仲間は最近活動しているのかな?とか、色々浮かんでいましたが、浮かんだことは一切否定していませんでした。音の空間が気持ちよければ寝てしまうのもありだと思います。
動物園でも公園でも同じ。可愛い動物だなあ、とか、この景色好きだなあ、とか。感じたことに良いも悪いもありません。素直に、感じたことを受け止めれば良いんです。
自分からどんな感情が出てくるかを楽しめばいい
このことの気づきで、新しい体験をするのも不安が減りました。ただ単純に、気になるから行ってみる、で良いんです。行ってみてつまらなかったら、今の自分には必要ないことだったんだな、と少し距離をおけば良いこと。
むしろ、新しい体験によって自分がどんな感情を持つか、何かふと思い出すことがあったり、そういう出会いを楽しめるようになりました。