和楽ブログ

元組み込みプログラマーのブログ。現在は新宿・渋谷周辺で転職、人間関係、自信を持つコーチング・カウンセリングを行っています。

自炊が習慣になるまでの話

自炊といえば、週に一回大量に作って他の日に小分けにして食べる習慣を続けてます。

学生時代に一人暮らしを始めてから納得のいく自炊が習慣になるまでは、長い「料理本の旅」がありました。

"つくりおき"というジャンルと出会った時の話です。

 

自分の食への意欲

実家では親が外食があまり好きではなく、結構しっかりと料理を作ってくれていました。

一人暮らしするまでは包丁はほとんど握ったことがなかったのですが、薄味好みということもあり、味付けが濃い外食よりも自分で作ってしまおう、と思うことが多かったです。

 

自分流の料理法

最初は、野菜炒め、カレー、生姜焼き、鍋とか。肉と野菜を入れて、炒める・煮る+味付け、くらいの料理しかしていなかったような。

料理本は見ていませんでした。調味料も、塩・砂糖・かつおダシ・胡椒・醤油・マヨネーズ、とかしか無かったと思います。

みりんや酒をどこで使うかも知らなかったですが、こんなものだろうなと半ば諦めながら食べていました。

 

ちゃんとした料理

社会人になってちゃんと料理をできるようになりたいと思い、入社直後に料理教室で「一人暮らしの料理の基本」みたいなクラスに参加しました。

鰹節を大量に使って一番出汁をとったり、筍の土佐煮を習いました。

 

 

なんか違う。。

 

 

本格的な出汁も、筍料理も基本なのかもだけど、毎回味噌汁にこんな手間かけないといけないのか、とか、この感じで全料理を覚えていかないといけないのか、、と圧倒されてしまい、3回の講座のうち初回だけで行かなくなってしまいました。

 

料理本の旅へ…

料理教室は向かない、と感じ、その後は美味しそうな料理本を見つけては買い、挫折し、を繰り返していました。

お料理一年生、有名料理家さんのコラム風料理本、論理的に書かれた本、オレンジページの特集、味つけ冷凍レシピ本、など。

 

どれも美味しい作り方を書いていて、どれも素晴らしい本でした。

ただ、自分の期待するものと少し違ってました。

上品なお皿にちょこんと乗っていて美味しそうな料理だとしても、日々残業で遅く帰る私には作る時間も十分取れないので現実味がありませんでした。

美味しそうだな、と思いつつも、食材に未知の調味料(ローリエとかナツメグとか)が含まれた途端にハードルが上がり、作るのを諦めることも多々ありました。

自分にピンとくるものが無く、なかなか自炊を続けるのも難しいなあと思っていました。

 

"つくりおき"との出会い

家電メーカーに勤めていたころ、炊飯器の開発に携わっていました。プログラムも書かずに米を炊いては試食して、温度や時間を調節してはまた炊いて。毎日社内に"ご飯"が大量にある状態でした。

ある日、弁当男子の社員が開発陣にオカズの差し入れをしてくれました。聞いてみると週末にたくさん作って平日に小分けに食べている、と聞き、"つくりおき"というジャンルの料理と出会いました。

残業の多かった自分の生活スタイルには合ってるのかな、と思い、「ラクする作り置き」と言う本を手にしました。

 

自分が何を求めているかを知る、と言うこと

レシピには基本的に4人分の分量が書かれていて、日持ちするもの、味が染み込んで美味しくなるもの、冷めてからレンチンしても美味しいものが中心でした。

見た目の派手さはないものの、自分のペースにはぴったり合っていて、毎回買い物が楽しみになりました。

この本の筆者も単身赴任で一人暮らしをされている方だったのも、共感できる要素の一つだったと思います。

 

この本との出会いから5年ほど、つくりおきする習慣が身についてきました。

結局私が求めていたのは、

・毎日料理するのは大変

・食材を余らせたくない

・日持ちし、レンチンしても美味しいメニューが良い

などだったと思います。なかなかこれに気づけなかったので、つい見た目やテクニカルな本に惹かれてしまいつつ、しっくりこない本にしか出会えてきませんでした。

 

はじめは漠然とした「やってみたい」で良いと思います。

その中にある自分の本質が求めていることがはっきりすることで、目標までスムーズに進めて継続できるようになるんだな、と言う体験のお話でした。

人生のブレーキに気づけた時の話

最初の仕事

私はメーカー系のプログラマーとして10数年働いてきました。

理系出身だったので、都内で働ける技術職で、ものづくりに関われるなら、くらいのつもりで選びました。

プログラミングは学生時代に少しかじった程度でしたが、身近な電気製品を自分で動かせる、ということはすごく楽しかったです。

一方で、設計や不具合対応のスピードを求められることが多く、自分はプログラミングが早い方では無かったので向いていないのかなと薄々感じていました。

 

仕事のできる人になりたい

30歳を過ぎたあたりでちゃんとしたプログラマーにならなければと思い、仕事効率を上げるためにいろいろな方法を試してきました。

プログラミングの本を買い漁り、プレゼンの講座を受講、分刻みのタスク管理のツールの導入し、集中力を高める本を読む、天職を見つける講座を受ける、能力開発の催眠術を受ける、、などなど。

どれもその時はできた気にはなりましたが、心の底から身についたと感じるほどではありませんでした。

当時は「頑張りたいけどどう頑張れば良いかわからない」という気持ちだったと思います。

 

自分らしさを認める

あるとき、通っていたマッサージ屋さんから、「この人はすごいよ。」とスピリチュアルセラピストの先生(私の師匠となる人)を紹介してもらいました。

パワースポットも占いもあまり関心が無かったのですが、自分がこの仕事を続けていて良いのか占ってもらうような気で相談しに行きました。

そこでは、透視リーディングというその人の本質を見つける方法でセッションをしてもらいました。

 

「しょうごさんは、じっくりゆっくり踏みしめながら、一歩一歩階段を登っていく人なんですね。」

 

 自分は、仕事が早くなければいけない、という理想像にしがみついていた事に気付かされました。

確かに自分はじっくり理解して楽しみながらプログラミングをしたかった。

理想像と現実のギャップから、自分はできていない、と決めつけていたのだと思います。

それ以来、少しずつ自分らしさと向き合い、早くないことを卑下せずにきちんと仕事をするように心がけたところ、段々と職場が居心地の良いものになってきました。

 

自分の考えが変わると周りが変わる

自分の行動を受け入れることで、逆に力が抜けて素直に行動できるようになりました。

仕事が遅いことを隠すために、体がガチガチにこわばっていたのだと思います。

不思議なことに、頑張ることをやめたらパフォーマンスが上がった、という感覚なんです。ただブレーキを離しただけ。

もともと人の成長に関わることに関心があったため、セラピストの先生の講座を受講し、私自身が誰かの人生のつまづきを解決できる人になりたいと思うようになりました。

その後、コーチングというビジネススキルがあると知り、本を読み漁り、この道へ進もうと活動を始めました。

 

答えは自分の中にあった

師匠は私にこうしなさい、と指示を出した訳ではありません。

私自身が持っていた能力をありのまま伝えてもらったことで、作られた理想像を手放せたのが大きかったと思います。

楽に生きられるヒントは自分の中にありました。

一人で自問自答して見つけるのが難しければ、是非お話を聞かせてください。

美術館の楽しみ方がわからなかった話

美術館や博物館に行くのが苦手でした。

せっかく音楽をやってるんだから、他の芸術にも目を向けないとなーという気持ちで行けるようになりたい、と思ってはいました。

何が苦手に感じさせているのか、言語化することで納得できた話です。

 

行った時に感じてたこと

話題になる作品展は色々あります。ゴッホ展、フェルメール展、国宝東寺の特別展など、駅の広告でも毎日のように目にします。

歴史的な作品だったり、なかなか見る機会はないのは知ってるんですが、何にせよ知識がありませんでした。美術展なら、水彩画なのか油絵なのか、どこの国の人なのか、代表的な一枚くらいは見たことがあるかないか程度。

 

「作者のことを知らなさすぎて、見に行ってもどう感じたら良いかわからない」という気持ちが強かったです。どうせ行くならその前に絵画の基本でも予習しなきゃ、なんて思っているうちにどんどんハードルが上がって結局行かないパターンが多かったです。話題になっているから行く!と素直に思えなかった。

 

感じたままで良いのだと受け止めた

自身のつけ方の記事でも書いたのですが、自分の感じたことをちゃんと拾ってあげる、ということが自己肯定感を持つのに大事だと気付いた時、美術館を楽しめないのも同じかもしれない、とふと思いました。

 

歴史的な名画を眼の前にして、その偉大さ、どこにそれだけの価値があるかとかを"正しく"感じないといけないという気持ちが強かったのだと思います。

歴史の教科書で見たのよりも年取って見えるなあ、とか、表面の素材は結構ザラついているなあ、とか、思ったより小さい作品だったんだ、とか。気づいたこと、感じたることは何でも良いんだ、と思った瞬間、気持ちが楽になりました。

 

おそらく、良い年なんだから美術史のことを少しは知っていないといけない、という観念があったのだろうなと思います。"良い年"→美術史を知っている大人であるべき、という憧れが、現実にそうではない自分とのギャップに勝手に落胆させていました。

 

落ち着いて考えると、自分の人生で美術史はあまり大きな要素では無かったので知らなくても当然だなあと思えました。言語化して認識することで、しがみついていた理想像を手放せるようになりました。

 

演奏会に行っても実はそうしてた

思い返すと、演奏会でも同じことが起こり得ます。このプレイヤーはどこそこの出身で演奏のルーツは誰々にあって、とか知っていたら格好良いかもしれない。ただ、そこは私には大事ではなくて、ただ今この瞬間の演奏が自分にとって気持ち良いか、で聴いていました。

演奏中もずっと音に集中しているわけではなく、ふと、自分のバンドではあの曲を演奏しよう、とか、学生の頃のバンド仲間は最近活動しているのかな?とか、色々浮かんでいましたが、浮かんだことは一切否定していませんでした。音の空間が気持ちよければ寝てしまうのもありだと思います。

 

動物園でも公園でも同じ。可愛い動物だなあ、とか、この景色好きだなあ、とか。感じたことに良いも悪いもありません。素直に、感じたことを受け止めれば良いんです。

 

自分からどんな感情が出てくるかを楽しめばいい

このことの気づきで、新しい体験をするのも不安が減りました。ただ単純に、気になるから行ってみる、で良いんです。行ってみてつまらなかったら、今の自分には必要ないことだったんだな、と少し距離をおけば良いこと。

むしろ、新しい体験によって自分がどんな感情を持つか、何かふと思い出すことがあったり、そういう出会いを楽しめるようになりました。

 

 

人前で緊張する、ということ

大勢の前で何か話したり発表したり、自分からアウトプットする機会は何かと緊張しますよね。

 

えー、とか、あのー、とか口癖がやたらと増えたり、話す内容が飛んで頭の中が真っ白になってしまったり。練習した時は上手くいったのに、、と思うことが色々ありました。

 

なんですが、

 

ここ最近、緊張しなくなったんです。自分でも意外だなと思うほどに。

その緊張しなくなる過程について、感じたことを書いてみます。

 

自分の考えを他の人に伝える場

私はプログラマー時代には週に数回のメンバー内の進捗報告があったり、趣味のライブでの演奏やバンド代表としての挨拶など、定期的に報告・発表する機会がありました。

報告では自分の作業内容を明らかにすることで全体のスケジュール見積もりの正当性を確認するため、内容の正確さが求められます。

ライブでの演奏では、今まで練習で積み重ねてきたもののベストを出せるように、できるだけ集中します。バンド挨拶では、バンドへの思いやお客さんへの感謝の気持ちを、出来るだけ正確に伝わるように話したい、と考えていました。

 

緊張している時に考えていたこと

単純な業務の報告とはいえ、上司や先輩に対していつも緊張して、コメント無く過ぎるとホッとする自分が居ました。その理由を言葉にしてみると、次のような気持ちでした。

  • 仕事のペースが遅いと思われたらどうしよう。。
  • 作業内容が簡単すぎない?って思われないかな。。

ライブでの演奏では、次のような気持ちでした。

  • この演奏がお客さんにつまらないって思われないかな。。
  • (仲間のプレイヤーに)ミスしたのバレてないかな。。
  • この作ったオリジナルの曲、カッコ悪行って思われないかな。。

挨拶でも

  • 自分の考えがちゃんと伝わるかな。。
  • みんなピクリとも笑わないで聞いるけど、つまらないのかな。。

とか。

 

いちいち受け取り手の反応を気にして、身体中が緊張で硬直していたと思います。本来集中すべき自分のアウトプットではない部分に意識がいき過ぎていました。

 

緊張しなくなったきっかけ

別記事でも書きましたが、自分の感情を大事にするようになってから、他の人の反応がそこまで気にならなくなってきました。自信がついてきたのだと思います。

 

前述の不安な思いを解消するため、業務をハイペースで片付ける、とか、絶対ミスらないようにめちゃくちゃ練習する、とか、そういった"頑張る"ことで解決できる部分もあるかもしれません。

しかし、"今のままの自分の状態で良い"と思えるようになることでも、不安な気持ちは和らぎます。全ての勝負に勝つ必要はありませんでした。今持っている実力がちゃんと出せれば、それ以上でもそれ以下でもない現状の自分に合ったアウトプットになります。開き直りともいえますが、それで十分なんです。

 

逆に"頑張り過ぎない"ことで身体の不要な筋肉の緊張がなくなり、ベストなパフォーマンスができるようになるのだと思います。

 

緊張していない時に考えていること

何よりも、実力通りにできれば良いな、ということだけ考えられるようになりました。他人の目を気にせず、アウトプットする内容に集中できれば、自分のベストがきっと出せるはずです。

途中でスピーチに詰まったり、演奏でミスをしたりもあるかもしれません。この時も、他人の目を気にしなければすぐに体勢を持ち直すことは可能です。実力を出すことだけを考えれば良いのです。

 

他人へのアウトプットは楽しいこと

他人へ自分の考えが正しく伝わることは、仕事上だけでなく、コミュニケーションをとるのに大事です。自分の存在を、相手の中に正しく認識してもらうことで感情も共有できます。

私は、頑張り過ぎないことで緊張の無いアウトプットができるようになりました。そして自分の考えが正しく伝わって受け入れてもらえるようになると、発表の機会が楽しみに感じられるようになりました。

私の経験がどなたかのお役に立てれば幸いです。

 

 

 

個性が活きているチーム、が好き

自分の好きなものを少しずつ紹介していきます。

 

自分の独自の視点で好きな部分を言葉にしてみたいと思ったからです。また、読んだ方の"好き"がどこにあるのか、機会があれば聞いてみたいですね。

 

初回はいきなり抽象的な話題になります。

  

 

これらの共通点は何でしょうか…?

 

 

 

 

いずれも、

  1. 複数人のチームであること
  2. 明確な主役は存在せず全員で一つを成し遂げていること
  3. メンバーが異なる個性で活躍できる

 

まとめると、「個性が光っているメンバーが協力して成し遂げるチーム」が最高にかっこいいと思ってます。

 

X-MENで言うと、敵から仲間を救出する時とかに、

「俺が炎で敵を寄せ付けないようにするぜ!」

「わたしは癒しの力で味方を回復させるわ!」

「その間に僕が瞬間移動でプロフェッサーを救出するよ!」

のような。能力に差はあれど、なんらかの形でチームに貢献して全員で目標(救出)を達成しています。

 

 

オーケストラや吹奏楽、合唱など楽曲面ではそれぞれの魅力がありますが、ビッグバンド ※*1はジャズコードを構成するための最少の編成のため、重複する音を出す人は居ない、という点にグッと来たのかなあと思いました。

 

 

モーニング娘。は言わずと知れたアイドルグループですね。結成当初のASAYANという番組の中で新曲の歌割り映像を流すんですが、この子は元気な声、この人は色っぽい声とか、場面によってメインボーカルを切り替えて曲を作っています。歌の下手な子がいればセリフのような歌詞やエフェクトでキャラを引き立てたり、ダンスが得意、英語が得意などで個性を出そうという運営側の意図を感じます。

 

 

 

学校でも職場でもサークルでも、人が集まると色々な個性があることに気づかされます。学生時代は、スポーツが得意な人、成績が良い人、お調子者で声の大きい人がクラスの中心でした。職場では、営業成績の良い人、仕事の早い人の存在を大きく感じるかもしれません。

しかし、それ以外のメンバーが会社を維持するのに必要な業務をきちんとこなしたり、メンバー間の関係をうまくつなげたり、それぞれの個性でチームに貢献しているからこそ、トップ営業マンも安心して自分の仕事に打ち込めるのではないでしょうか。

 

お互いの個性を認め、全員が発揮できるチームが増えると良いなあと思います。

*1:ビッグバンドジャズというのは、ジャズの編成の一つなんですが、トランペット、トロンボーン、サックスの管楽器が4〜5人ずつとピアノ、ベース、ドラムなどのリズムセクションからなる16人くらいのバンド形態です。

自分に自信をつけるには

前回の記事で、自信について書きました。

それではどうしたら自信がつくのでしょうか。

そのポイントは次の二つかと考えています。

 

他人と比べない

一つ目は、他人と比べないこと。

 

たとえば、もう少し稼ぎが良ければ、もう少しカッコいい服装ができたら、もう少し英語のスキルがあれば、自信はつくのでしょうか?

その動機が、他の人にすごい!って言われたい、褒められたい、というものであれば、

一つ達成してもまた他の面の自信の無さが出てくるでしょう。

"すべて"を手に入れるまで完全な自信はつかないことになります。

 

一方で、自分が本当にやりたかった仕事に就ければ、

結果として稼ぎが良くならなくても満足につながります。

 

着てみたかった格好をする、自分の内側から発生した理由で勉強するのであれば、

こちらも心が満足し、大きな自信につながります。

 

前者は他人を意識した行動、後者は自分のための行動だからです。

 

自分の気持ちを大事にする 

2つのポイントは、自分の気持ちを大事にすること。自分自身を愛することです。

 

自分の気持ちを大事に、とは具体的に何でしょうか。

 

頑張った時には豪華な夕食をとる、旅行先のホテルをいつもより良い部屋にする、など

"贅沢をする"ということが当てはまる人もいます。

しかし、贅沢に過ごすことだけが自分を大切にする、とは限りません。

 

少し疲れたなと思ったらちゃんと休む、

気分が乗らない付き合いはちゃんと断る、

気になった事は少しだけやってみるとか、

「自分が感じた気持ちを拾って行動すること。」です。

これが「自分を愛する」ことにつながります。

 

例えば、本当はこういう服装着てみたいんだけど、周りに何て言われるか不安だから着ない、とか、

やってみたい習い事があるけど、"あなたらしくない"と言われるのが不安だからやらない、とか。

ちょっとした周りへの意識から、自分の希望を塞いでしまうことを知らず知らずにやっていることがあります。

 

心・考え・行動のバランスをとる

人は心・考え・行動のバランスが取れている状態が、一番自分を発揮できる状態では無いかと考えています。

上の例では、心が「こういう服装がしたい」と感じているのに、

「周りの意見が怖い」という考えによって、

「着たい服でも着ない」行動をとってしまっています。

この三者がバランスよく支え合っている状態が「自信がある」ということにつながります。

 

 

そうは言っても他人の評価を完全に無視できない、という気持ちもあるかと思います。

 

自分の心の声を認めてあげる。

周りの声と違う意見だった時に、自分の心を優先させられるか。

周りに従え、と圧力をかける人もいるかもしれません。

世間体や常識から、自分自信がそう思い込もうとしているかもしれません。

 

素直な自分を受け入れてくれない他人の意見を、そこまで聞く必要は無いのです。

また、他人の自信を奪う人は存在します。

その人自身の自信のなさから、相手の自由な振る舞いを認めたくないからです。

 

周りからの承認ではなく、自分自身で選んで行動することが、

自信を持てる・持てないの分かれ道ではないでしょうか。 

 

初めの一歩

瞑想でも良し、誰もいない自分の部屋でも良し、夜風にでもあたって歩きながらでも、

素直な心の声を聞いてみてください。

ふと浮かんだ心の声を大切に。

 

 

コーチングセッションでも、ご自身が本質的に望んでいることを一緒に見つけられます。

どうぞお気軽に受けてみてください。

waraku55.hatenablog.com

自分に自信がある、ということ。

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自信がある、とはどういう事でしょうか。

今の仕事には自信がある、英語には自信がある、社内のコミュニケーションには自信がある、など思い浮かぶかもしれません。何か人より優れているものがあって、いつもそれが発揮できていれば、(その分野については)自信を持って振る舞えます。

 

自信がある人、ない人

自信がある人は、他人からはどう見えるでしょうか。

成果をあげられる、堂々としている、緊張しないで実行できる、新たな課題があってもチャレンジできる、人に教えてあげられる、など。何かに自信があると、頼もしく魅力的な人に見えます。

一方で自信がない人は、失敗しないか不安に感じる、チャレンジできない、人に間違いを指摘されるとグサッとくる(もしくはカチンとくる)、などの気持ちになっているかもしれません。

 

自信の定義

ここで一つ落とし穴があります。

何か優れた特技があるのは素晴らしい事ですが、"自信=何かに秀でている"と定義づけてしまうと、自信は苦労して成功した人のみが手に入れられることになります。

「よしっ、将来に向けて資格の勉強をするぞ!」と意気込んで始めても、途中でサボってしまったり続かなかった場合、「ああ、自分は続かないダメなやつなんだ。。」と自分にダメなレッテルを貼ってしまいます。

その他にも、Aについては自信があるけどBは苦手な場合、「Bさえ出来るようになれば自信がつくのに…。(そしてBが出来ていない自分はダメだなぁ)」とさえ感じてしまうかもしれません。人より劣るところを見つけるのは簡単なことなんです。

完璧主義だったり、自分に厳しく、というタイプの人は、コンプレックスを努力のバネにできる一方で、出来ていない自分にダメのレッテルを貼りやすいかもしれません。

  

では、自信をつけるために努力を一生続けないといけないのでしょうか?

 

いいえ。"特定の何か"の自信よりも大事な自信があるんです。

 

一番大事な自信

周りの人で、何が特別に優れているかはわからないけど、落ち着きがあって、堂々としていて、機嫌が安定していて、淡々と物事をこなしている人は居ませんか?こういう人たちは、物事を人と比べずに自分の価値観で判断しているので、話しやすい人ではないでしょうか。別の言葉では、自尊心・自己肯定感が高い、自分の存在に自信がある、とも言えます。

 

"自分という存在"に自信がある、とは、今のままの自分で十分に価値がある、と思えている心持ちです。仕事の成績はトップでは無いけどちゃんとやっている自分、英語は下手だけど海外旅行を楽しめている自分、ちょっと疲れた日には一日ダラダラ過ごす自分。そのままの自分でも良いんだ、という気持ちを持っていることが自分の存在への自信です。

 

自信=自分を信頼していること

存在に自信が持てると、今取り組んでいることがうまくいかなくても卑下しません。ネガティブな感情なく、ただ淡々と取り組みます。他人から何か言われても動揺しなくなります。他人を羨んで落ち込むことがありません。自分自身の価値を信じているからです。

 

仕事でも家庭でも趣味においても、生きている間は得意なことも苦手なことも選択の連続です。自分の人生をまっすぐ進むために、自信を持って選択ができるようになりませんか。

 

自信のつけ方は、次の記事で書いています。(2020/03/04追記)

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